4月に行く予定だったテント泊が、実家のある九州の群発地震で、とてもそんな状況じゃなくなり取り止めに。しかし、梅雨が始まる前に何とか今年最初のテント泊をやっておきたいと思い八ヶ岳 行者小屋にやってきた。また、今、八ヶ岳の麓には絶滅危惧種のホテイラン、稜線には本州では希少種のツクモグサが咲いているということ。まだ見たことのないこれらの花をカメラに収めるためにも、今の時期に八ヶ岳に来たいと思っていた。
さらに、昨年、八ヶ岳にはウルップソウという本州では白馬と八ヶ岳でしか見ることができない花があることを出会った年配の登山者から聞いていた。調べるとその時期にはちょっと早いかも知れないが、今年は花の開花が早く、もしかしたら見られるかも知れないという淡い期待も潜めていた。
美濃戸からホテイランのある北沢を進み15分ほど進んだところだろうか、カメラを手にした撮影会のような人だかりがあり、あっけなくホテイランの在りかが分かった。あまり日の当たらないちょっと湿った林の中に、花自体は小さくも存在感を示しながら何とも妖艶で優美な姿で咲いていた。これで早くも今回の登山の目的の三分の一は達成だ。
小屋に向けて北沢を歩く。
久しぶりのテント泊装備にちょっと消耗しながら行者小屋に到着した。本当はもう30分ほど歩いて、まだ一度も泊まったことがない赤岳鉱泉でテントを張りたいと思っていたのだが、もう今日はこれ以上とても歩く気にはなれなかった。
実は、いつもと違って今日は一人じゃない。3年前に北アルプス 五色ヶ原のテント場で知り合ってfacebookフレンドのK君と一緒だ。今まで山では自由に歩きたいという思いから、テント泊の時はほとんどソロで歩いてきたが、今年は少し人と歩いてみようと思っている。もちろんここ数年、毎年やっている夏の長期縦走はやっぱりソロで、人のことを気にせずに自由に歩きたいが、すでに行ったことのある所や1泊程度の短い行程だったら、もっともっと山での時間を楽しむようにしたいと思うようになった。
いや...実はさらに、最近、登山レポートを掲載している「ビストロきっちょむ」というウェブサイトをよく見るのだが、若い男女の仲間たちが楽しそうに一緒に山を登っているのを見て、ちょっとだけうらやましく思っているのもあった。
しかし、じゃ誰と行くのか?と考えてみると一緒に歩くような仲間がいない...それで今回、FBで行きたい人を募ってみたらありがたくもK君が声をかけてくれた。
待ち合わせた甲府駅で再開したK君は、3年前に五色ヶ原のテント場で知り合って以来だったが、その時のイメージのままのとてもフレンドリーで気さくないい青年だった。双眼鏡を首からぶら下げたK君は、鳥が好きらしく森の中でさえずる鳥の声や飛び立つ鳥に羽音を楽しみながら歩いていた。
八ヶ岳の開山祭と重なった行者小屋のテント場はとても混雑していたが、どうにかうまい具合に良い場所を見つけ2張り隣り合わせてテントを張り、小屋の前の広場に置かれたテーブルに移動して夕食を食べながら一杯やりはじめる。しかし6月になったとは言えまだまだ陽が沈むと山は寒い。夕食を食べ終えると程なくテントに戻って、そこで飲むことにした。
次第に酔いもまわり夜遅くまでウィスキーを飲みながら色んなことを語った。実は3か月前に彼女と分かれたというK君はその話をすると少し寂しそうな表情になった。「彼女」として付き合うことと、その先にあるかも知れない結婚という現実問題の狭間で、色々思うことがあるようだった。
分からなくもない。僕もかつて結婚の直前までいって、どうしてもその現実を素直に受け止めることができなくなり、そのことを彼女に伝えると、逆に愛想をつかされ、そのままあっけなく別れてしまったことがある。現実に気づいた僕はよりを戻そうと必死に頑張ったが、氷のように冷めてしまった彼女の気持ちはもう二度と戻らなかった。当時のことを思い出すと、正直、今でも彼女には本当に申し訳ない事をしてしまったという思いで少し胸が痛くなる。あの彼女はいい人を見つけて幸せになってくれているだろうか。そうなってくれていればいいいのだが。何だかそんな過去の自分を重ね合わせながらK君の話を聞いていた。
恋の苦しみは結局、何かで上書きすることもできないし、どんなに楽しくしてもその一瞬以外は忘れ去ることすらできない。辛いけどじっとその時間が立ち去っていくのを待つしかない。ただSNSなどがある今の世の中はとても不幸だと思う。ちょっと前までは、苦しむ自分の反対側で相手がいくら楽しんでいても、それを知る術はなかったが、SNSでその部分が目に入ってしまうと、振られた方としてはどうしようもない複雑な気持ちになってしまうと思う。人を忘れ去るには大変な時代になったなと思う。
翌朝、夜更けから雨が降り始めたようで、テントに叩きつける雨粒の音で目覚める。天気予報どおり今日は登山に適した天気ではなさそうだったので、今日はのんびり過ごして下山するだけにしようかなと思ったが、テントから出てみると、高い雲から降る雨も小雨で、八ヶ岳の稜線から南アルプスまで見渡せる視界があった。
さらに雨も小降りになり、予定より1時間遅れて午前7時過ぎに歩き始める。雨に湿った八ヶ岳はそれはそれで苔生した森がとても美しくなる。初夏秋冬、晴れの日も雨の日も、楽しめるのが八ヶ岳のいいところだ。今回でもう20回八ヶ岳の山域に来ているが、何度来ても本当に好きなエリアだ。
稜線に出ると吹きつける風が冷たい。気温は3~4℃と言ったところだろうか。硫黄岳を通り過ぎ硫黄岳山荘のある鞍部に下るとより一層風が吹きつけ寒いので、暖かいものでも飲もうと小屋に立ち寄ったのだが、山小屋には珍しくギネスビールを売っているのを見つけると、二人でそれを飲んだ。K君とはより分かり合える仲間になれるかも知れない。
ちょっとスリリングな横岳のクサリ場を通り過ぎ、横岳からの岩場の稜線に入ると、至る所で紫色が鮮やかなオヤマノエンドウをはじめとした高山植物が咲いていた。その中にひときわ大きなつぼみに毛羽立ったちょっと変わった容姿の花を見つけた。ツクモグサだ。今回はこの花を見るのが一番の目的で来たようなものだったので、見つけることができてとても感動した。晴れた時だけつぼみを開くというこの花は、今日の曇天でつぼみを閉じていたのが少し残念だったが、その独特のスタイルは珍しい花の雰囲気を否応なく醸し出しているように思えた。しかしながら、その感動はつかの間。先に進めば進むほど、この稜線の至る所に、しかも無数のツクモグサが咲いていた。
12時を少し過ぎて「地蔵の頭」に到着。次第に晴れ間が広がり、白い雲の間から時折見える空は真夏の青空のようだった。そして目の前には八ヶ岳の主峰 赤岳がはっきりと見えていた。これからの行程を考えると赤岳を登るには時間的に厳しいかなと思ったが、せっかく八ヶ岳に来たのだがらK君にその頂を見せてあげたいし、また彼も登りたいだろうと思い尋ねてみると、思いの外「もう十分満足です」という返事だった。
主峰 赤岳に登ることは諦め、少し時間に余裕ができたので、その手前にある赤岳展望荘に寄って昼食をとることにした。カレーライス、そば、ラーメン...朝からほどんど何も食べていない僕は、そのメニューを見ると一気に空腹に火がついた。空腹のときにどれかひとつだけメニューを選ぶことほど難しいことはない。散々迷ったあげく醤油ラーメンを注文。そして、この何の変哲のない醤油ラーメンがとてつもなく美味しいのだ。空腹に勝る調味料はないとは本当によく言ったものだ。むさぼるようにラーメンを平らげた。
全身に再びエネルギーを回復して赤岳展望荘を後にする。あとはもう下るだけだ。ちょっと急峻な地蔵尾根を降り、今日の周遊コースの起点、今朝、出発した行者小屋に戻り、張りっぱなしにしていたテントを片付ける。見上げると、今日、歩いてきた険しい横岳の稜線がまだくっきりと見えている。雨男を自認する僕だが、昨夜、ちょっとだけ雨に降られただけの十分な出来を自負した。いや、きっとK君が相当な晴れ男だったのだろう。
ゴールの美濃戸口まで下山してスマートフォンの電源を入れてニュースを見ると関東甲信が梅雨入りしたとのことだった。ちょっとこれから山に行く計画が立てにくい季節になるな。その前に今年最初のテント泊ができて良かった。そして、久しぶりに一人じゃない山旅、とても楽しかった。