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ルートデータ
トレッキングレポート
DAY1: 9月13日(金)新穂高~わさび平
バス車中でたまたま隣に座っていた最近まで栄養学の教授をしていた方と山のことから話が始まりスポーツ科学やちょっとした身の上話までに展開して長い長いバス路を楽しく過ごすことができた。さすがに栄養学の先生であり山登りにおけるエネルギーや栄養の適切な補給の仕方などを論理的に色々個人レクチャーのように教えてもらった。本当に役に立つような興味深い話が多くこれからの登山に生かしていこうと思ったが、その僕の右手にはしっかりと2本目の缶入ハイボールが握られており、これから山に登ろうとしている人間として、その点においてちょっと後ろめたさを感じながら話を聞いた。
今日の行程は登山口から1時間ちょっと歩くだけのわさび平まで。川に沿うようにある登山道から時折りイワナはいないかと川を覗き込みながら歩いたがイワナの影を見つけることはできなかった。
DAY2: 9月14日(土)わさび平~三俣山荘
ただ鏡平より先、森林限界を超えてダイレクトに陽があたるようになると暑さに苦しむようになる。9月も中旬という時期なのにまるで夏山のように暑い。調子に乗って景気づけにと鏡平でチューハイを買って飲んだのも調子が出なくなった原因かも知れない。うん?思い返せば2年前にここを通り過ぎた時にも全く同じことを書いたような気もする。まぁ仕方ない。そんな性分は変わりようがない。鏡平より先はほぼコースタイムで歩くようになる。それにしても朝から快晴の空が広がり、すでに何度か登っている双六岳から三俣蓮華岳の稜線は別に歩かなくていいと思っていたのだが、この快晴に登らない手はないと登ることにした。
3連休の初日、もしかしたら三俣山荘のテント場は早い時間で満杯になるのではないかと思い、そうなら三俣山荘ではなく黒部五郎小舎に行こうと思っていたのだが三俣山荘が見える三俣蓮華岳からテント場を見下ろすと思ったほどテントが張られてないように見えたので、まあすでに疲れていたのもありラッキーと三俣山荘に下ることにした。そして、下るにしたがってそれは間違いということに気づくことになる。実は三俣蓮華岳山頂からは手前にあるちょっとした丘がテント場の視界を遮ってたくさん張られたテント場の実際の様子が見えなかったのだった。
14時半過ぎだったが三俣山荘からずいぶんと外れたハイマツの脇のそこそこ平らな場所に何とかテントひと張り分のスペースを見つけることができた。トイレは山荘にしかなくその点は面倒だが、もうちょっと遅かったら斜めった場所しかなかったと思うとよかった。テントを張り終えてテント泊の受け付けに行くと山荘前には、ここは原宿かどこかのタピオカでも売ってるお店か?と錯覚してしまうような受け付け待ちの驚くような長蛇の列ができていた。
DAY3: 9月15日(日)三俣山荘~雲ノ平
この利便性のよさが三俣山荘の人気に貢献しているのだろう。ジビエ料理を出したりと特色のある山荘には変わりないが、ここにテントを張ると重たいザックを持たずに色々なところに日帰りでアクセスできる。特にピークハンターにとってはもってこいのベースになるのだろう。
差し込んできた陽ざしでテントを乾かし、8時過ぎ雲ノ平に向かって黒部川源流の渡渉点に下っていく。今回もこの黒部川最源流でフライフィッシングすることを楽しみにしてきたのだ。いつものようにエルクヘアカディスを結ぶ。釣っているところを見られるのはちょっと恥ずかしいので渡渉点より少し上流から釣り始める。いくつかのポイントを進んだ先、右岸の石の脇で最初のアタリがある。すかさず合わせるとすぐに重みを感じる。26センチのいいサイズのイワナだ。今回もちゃんと黒部源流のイワナに出会うことができた。その後、快晴の空に太陽が高く上がると途端にアタリがシビアになってきた。それでも1時間半ほどで3尾のイワナをキャッチ。十分に満足できる源流の釣りだった。
まだ歩いたことのない黒部源流の渡渉点から岩苔乗越までのルートを登って行く。今日も快晴だが昨日同様に夏のように暑くてたまらない。黒部最源流の冷たい水で顔を洗って頭に被ると最高に気持ちがよかった。たった今、洗った僕の脂の分子レベルの成分も、ここからそのうちに富山湾に達するのだろうと思うと申し訳ないがちょっと感慨深くもあった。
雲ノ平のテント場に向かいまずはテントを張る。13時時点で14張りほど。三俣山荘とは違ってのんびりした空気がここには流れている。多くの登山者が雲ノ平に来るが観光のように雲ノ平山荘に行ってちょっとばかりの時間を過ごして帰って行く人が多いように思う。『最後の秘境』と称され、多くの登山者の「憧れの地」なので一度は訪れたいと思うのだろうが、僕が思うにここは終日ゆっくりした時間を過ごしてこその場所なのに、通りすがりのように来て去っていくのは本当にもったいない。
雲ノ平山荘にテント泊の受け付けを済ませ山荘前のベンチでビールを飲んでいるとウィスキーを片手に持った男性が来たので話し掛ける。自分もそうなのだが明るいうちから人目につくところで酒を飲んでいるソロの登山者はだいたい他の登山者と話す機会をうかがっている。
聞くと彼は新潟山岳会に所属しているということだった。そして、さすがに山岳会に所属しているらしくたくさんの山について精通していた。しかし、それより何より声が大きく陽気でおしゃべりでとても愉快な人だった。ここに来る道中にも同じようにたくさんの登山者とその親しげな性格で顔見知りになっているらしく、この夕べは雲ノ平のテント場で彼が呼んだ他の登山者2人を含めて4人であれこれと山のことを語りながら楽しく酒盛りした。
DAY4: 9月16日(月)雲ノ平~奥黒部ヒュッテ
昨朝、三俣山荘の掲示板に書かれていた天気予報だと今日の天気は下り坂だ。登ってきた道を折り返してもう帰るか?それとも前々から歩いてみたいと思っていた読売新道を歩いてみるか?ただ読売新道は稜線歩きなのでせっかく歩くなら気持ちよく晴れた日に歩きたいし、そしてもう2日間の行程が必要になってくる。
朝4時、曇り予報の朝だったがテントの外に顔を出すと満月に近い月が雲ひとつない空に輝いていた。これはもう行くしかない!!!すぐテントを撤収して雲ノ平キャンプ場を後にする。まだ暗い内にヘッドライトを着けて歩くなんてどれくらいぶりだろうか。
ところが次第に空が明るみ祖父岳への分岐まで来るとあれだけ快晴だった空に怪しい雲が広がり始めた。どうやらテント場から見える西の空は快晴だったが、見えない方角の東の空には既に朝から雲が広がっていたようだった。そして、祖父岳山頂に登り切った頃にはもうあたりは雲に覆われて霧雨すら降り始めた。レインウェアも着込み濡れないようにミラーレスカメラをザックに仕舞い込む。「これじゃ読売新道はまず無理だろう...」と思いつつ折角こんな朝早く出てきたのだからせめてまだ登ったことのない読売新道の入り口にある水晶岳までは行ってみようと思った。
そんな天気で気持ちも乗らずにコースタイムくらいのペースでしか歩けない。「ここ4年前に反対から歩いたなあ。確かその時も霧雨だったよな。そしたらライチョウが出てきてご褒美だなと思っていたら祖父岳から雲ノ平への下りで一気に雲が抜けて晴れたんだよな...」と考えながら歩いていると、すぐ目の前に一羽のライチョウが現れ、そしてさらに水晶小屋に向かって登っているとみるみるうちに雲が抜け始め、水晶小屋裏の小高いピークまで来ると滝のように流れる雲の合間に北アルプスの雄たちの峰々が360度、もうえも言われぬ芸術的な絶景で広がった。そして北を向くとそこにはそびえ立つ水晶岳の向こうに雲ひとつ掛かってない読売新道の稜線がきれいに見えていた。これを見たらもうそこに向かわないという選択肢はなくなった。
水晶岳を通り過ぎると読売新道は後立山連峰の稜線にも似た岩稜帯が続いていた。石にペンキでマーキングはあるものの間隔が遠かったり見つけにくい位置にあったりとルートを見落としやすそうな道が続いた。読売新道はやはり天気が悪い時に歩くのはできるだけ避けた方がいいだろうなと思った。
高天原温泉へ下る温泉沢ノ頭を過ぎると赤牛岳へ近づくと山容は次第になだらかになり、ゆるやかな最後の稜線を登り切ると200名山赤牛岳(2,864m)山頂にたどりついた。遠くから眺めると読売新道はたおやかな稜線が続くように見えるが、実際、歩いてみるとアップダウンがこんなに激しいのはとても予想外だった。
赤牛岳から奥黒部ヒュッテに向かって下る。そしてまたこの下りが険しかった。最初は切れ落ちた崖のわきのガレた不安定な道で、次にそこから先、森林限界以下に入るとコケや湿った泥で滑りやすい石がゴロゴロした掘れた道が続き、そしてさらに下ると今度は倒木と木の根がむき出しになった道になる。こんな悪路をコースタイムで4~5時間かけて標高差1,500mも下って行かなければならない。しかもマイナーな読売新道。人に出会うことはほとんどなく、薄暗い登山道を歩いていると本当にこの道で合っているのか不安になってくる。ただ唯一この区間を8分割した7/8、6/8、5/8...標識を20~30分ごとに確認すると安心した。
下っている尾根の両サイドから次第に川の音が聴こえてくる。さらに急坂を下りて行くと奥黒部ヒュッテが見えた。本当にきつかった。赤牛岳から3時間20分ほどで下りてきたが間違いなく今まで歩いた中で最もきつい下りだったと思う。ここを歩くのは二度目はもういいかなと思った。そして、もしここを登る人、さらに2回以上登った人がいたらそれはもう変態でしかないと思った。
奥黒部ヒュッテは釣り人の間では釣りスポットとして名の知れたところだ。読売新道を歩き奥黒部ヒュッテに下りたかったのは、ここで釣りをしてみたいというのもその理由のひとつだった。
テント場にテントを張り、そこから3分ほど歩くとその下流で黒部川本流に流れ込む東沢の渡渉点に出る。想像に反して川が大きく、水量があり、流れが速く、それはまったくフライフィッシング向きではなかった。山を歩いて出くわした沢でちょっと竿を出すというスタイルなので、ウェーディングシューズなどもちろん持っておらず、川に立ち込むことができないので狙えるポイントはほとんどなかったが、川の隅の流れのゆるやかなポイントをいくらかやってみたが全く魚の反応もなく次第に小雨が降ってきたので20分程で止めた。
夕方、釣りからテント場に一人のルアーマンが戻ってきた。話すと2時間ほどでイワナを3尾キャッチしたと言う。ウェーディングしてきちんと釣ったらそれなりに釣れるのだろう。そしてそのルアーマンの話によると黒部川本流の方には黒部ダムから遡上してくるニジマスが釣れるということだった。ただ沢好きとして、ここはあまり魅力を感じることのない川だった。
DAY5: 9月17日(火)奥黒部ヒュッテ~ロッジくろよん
平ノ渡船に10分ほど乗って対岸の平ノ小屋に渡る。小屋には寄らずに黒部ダム方面に向かって歩き始める。地図を見るとコース上には黒部湖に流れ込むいくつかの沢があり渓相を見て釣りができそうだったそこで釣りをしてみようと思っていた。
渡場から20分ほどで中ノ谷の沢に出た。見るからにいい感じの渓相に一応、竿を出してみることにする。もし可能なら今日中に信濃大町まで出て帰れるなら帰ろうかなとちょっと思っていたのだが、この川の流れを見ると釣らずにはいられなかった。これでもう帰るのはゆっくり明日にして今夜は次のテント場である黒部ダムのすぐ近くのロッジくろよんに泊まることにした。
しかし残念なことに予めチェックしていたこの中ノ谷、御山谷の沢でそれぞれ5~6回ほどアタリがあったのだが掛からなかった。ピーカンで全く木に覆われていない沢だけに警戒心が強かったのか、フライの選択が悪かったのか、それともちょっとした釣り師なら来れそうな場所なのでシビアなのか…理由は分からないが1尾もキャッチすることができずがっかりした。
ロッジくろよんのテント場には僕以外もうひと張りしかなく、そして夕方になってもそれ以上増えることはなかった。平ノ渡船に一緒に乗った登山者たちは、ほぼこの日のうちに下山してしまったのだろう。
2張りしかなくちょっと寂しい雰囲気のテント場で、そこにいるもう一人のテント泊の登山者がテントから出てきたら話しかけてお酒でも一緒に飲まないか誘ってみようかなと思っていたのだが、その人は朝までただの一度もテントから出てくることはなかった。
DAY6: 9月18日(水)ロッジくろよん~黒部ダム
雨の撤収は何もかも濡れて本当に厄介だ。何とかできるだけ物を濡らず撤収しようとテント場のすぐわきにあるトイレ前の軒下にまずテント内の全ての荷物をザックに詰め込んで移動させ、残ったテントだけを雨の中、速攻で片づけることにした。多くのテント泊の人がいたらとてもこんな撤収はできなかっただろう。ちょっと寂しかったけど結果としてはラッキーだったのだろう。
ロッジくろよんから黒部ダムまでの道はもう舗装された道だ。黒部ダムに続くトンネルに入りケーブルカーの黒部湖駅を左に見ながら右折、まっすぐ進むとトンネルを抜け黒部ダムに出た。まだ7時半過ぎの黒部ダムは観光客もおらず静かだった。ダムを覗き込むとダムの観光放水が大迫力に見えた。ダムの欄干の向こう側にスマートフォンを出してその大迫力の放水を撮る。撮ってる最中に手を滑らせてスマートフォンをダムの下に落としやしないかハラハラと股間に寒いものが走る。
ここに来るのは1988年、高校2年の修学旅行以来なんだなと思うと感慨深かった。当時、付き合っていた彼女とここをぎこちない会話をしながら一緒に歩いたのを覚えている。まわりの同級生の視線が気になって気になって仕方がなかった。あれから31年、竹内まりあの曲じゃなけど人生の色々な扉をこの30年で開けてきたんだろうなとしみじみ思った。黒部ダムから扇沢に向かうバスはかつてのトローリーバスではなく電気バスに変わっていた。
あまり計画を立てずに行きあたりばったりで3~5泊くらい歩こうと思っていた今回の山行は久しぶりに予定いっぱいの5泊かけて歩きたいと思っていた読売新道も歩くことができた。僕のアルプス縦走マップにまたひとつ長い赤いラインが付け加わった。
またいつか歩きたい道とそうでない道があるなら読売新道は二回目はもういいかなと思う(笑)楽しいサーフィンに明け暮れた今年の夏だったが、きつかったが山登りの魅力も再認識できた山行だった。海と山の二刀流を続けて行こう!