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ルートデータ
トレッキングレポート
あのとき見た残雪期の北アルプスの景色をきちんと撮りたい!
バスタ新宿から初めてバスに乗る。4月27日金曜日。今年のGWが明日から始まるのを前に、混雑を避けるように一日早めて出てきた。白馬・信濃大町行のバスは本当に明日からGWが始まるのが不思議なくらいに7~8人の乗客しか乗っていなかった。毎年のことながらGWにどこに行くかずっと考えていたのだが、毎日、毎日、天気予報を眺めつつ、ようやく最終的に「よし行こう!」と決心がついたのが前日の午前中で、そこから急いで高速バスの予約を入れたのだが不意をつかれるほどバスの予約には余裕があった。
4時間ほどバスに揺られAM11時30分、安曇野穂高バス停で降りる。今回は3年ぶりにパノラマ銀座コースを歩く予定だ。ここは2015年のGWに一度歩いたことがあるのだが、その時、何百枚と撮った写真の半分くらいが、自宅に帰って見てみるとなぜかピンボケしていてがっかりした覚えがある。そこで、もう一度、このコースを同じGWに歩いて、あのとき見た景色をきちんと残しておきたいとずっと思っていた。
早く連れて行きたいのは分かるけど、そこまであおらなくても。
穂高駅で中房温泉行のバスを待っているとタクシーのドライバーが声をかけてくる。ちょうどバスを待っている登山客が4人だったので、その4人でタクシーをシェアすればバスより料金が200円高くはなるが、早く登山口に着くので乗っていかないかと言う。僕らはお互いに顔を見合わせて「それなら」ということでタクシーをシェアすることにした。
とても運転の荒いドライバーで、中房温泉までの山道に入るとタクシーは年配の女性がノロノロと運転する自動車をこれでもかと煽り、最後は、そう広くはない急カーブで強引に追い越して行った。
本来、乗る予定だった定期バスの到着時間よりも25分ほど早く中房温泉に到着。
僕たちをできるだけ早く登山口に連れて行きたい、このタクシードライバーの気持ちは分からないでもないが、あの運転は危険すぎるし、客を乗せた状態で発する女性ドライバーを罵る言葉があまりにも汚な過ぎて幻滅した。ちょっと気分のよくないスタートとなった。
DAY1: 4月27日(金)中房温泉~燕山荘
20kgのザックを背負っての初日の行程はやはりこたえる。
12時15分、家で作ってきたサンドイッチを食べて合戦尾根を登り始める。ここ最近、きちんと食べて登らないと途中でシャリバテをするように感じるようになってきた。割と山での食べ物に関しては、無頓着というか「別に食べなくても歩ける」みたいな感覚でこれまで過ごしてきたのだが、なぜか最近、それが通用しなくなってきたように思える。
第2ベンチを過ぎた辺りで次第に雪が現れてくる。アイゼンを必要とする程ではないが、日中の上昇した気温で雪がゆるんでいて歩きにくい。3年前と比べると今年のGWは残っている雪の量が大分多いように思える。
相変わらず初日の行程は調子に乗らないというか足が進まない。やはり20キロ近いザックを背負っての初日の行動は身体に堪える。ちょっと前までと違って、今は「早く登ってやろう」「人に抜かれたくない」という気持ちがさらさらなくなったので、ゆっくりゆっくり登って行く。
持ってきたはず!長期縦走をするというのに地図が見当たらない。
視界の開ける合戦小屋で30分ほど休憩、燕山荘まであと1時間ちょっとだろうとは思ったのだが、一応、正確に地図でチェックしようと思って探すのだが、その地図が見つからない。登る途中で地図を出したことはないので、可能性があるとすれば、初めから持ってきてないか、どこかでザックを開けた時に落ちてしまったということになる。こんな縦走で地図を忘れてくるなんてことはまず考えられないので、やはりどこかで落としてしまったのだろう。どうしたものかと思い返してみると、唯一、地図が入っていただろうところを開けたのは、同じ場所に入れた予め作成してきた登山届を登山口のポストに入れた時くらいしか思い当たらない。
タクシーを降りて同乗した3人と話しながらその登山届に書いてなかった住所を、そこで記入してポストに入れので、その間に落としてしまったか、または、住所を書いている時、脇に置いたのを忘れてきてしまったのだろうと思った。
その時、登山口で登り始める前にちょっと話して、途中、抜きつ抜かれつ登ってきた男性の登山者が合戦小屋に到着した。テント泊装備の彼も合戦尾根の急登でとても疲れているようで、ここで休憩するようだったので、事情を説明して、取りあえず、ここから燕山荘まで地図上のコースタイムであとどれくらい掛かるのか聞いてみた。とてもフレンドリーな彼は、快く地図を出して見せてくれた。
すると彼が「この地図をカメラで撮ったらどうですか?今のカメラの解像度だったら、それを拡大すれば十分に見れますよ。」と話した。正直、そんなこと全く思いつきもしなかった。早速、彼の地図を合戦小屋のテーブルの上に置いて持っていたデジカメで撮影、液晶画面で写真を拡大してみると十分過ぎるほどクリアに見ることができた。だったらスマートフォンで撮影した方が画面も大きいし後々地図を見る時に便利じゃないかと思い、そちらで撮影してみると十分、地図の詳細まで見ることができた。全く考えもしなかった方法だった。技術の進歩がこのようなケースに役に立つものかと大いに感動した。
さて、この話には続きがあって、燕山荘のテント場で寝る支度をしている時に、普段、あまり使用することのないザックのサイドポケットのジッパーを開けると、そこにジップロックにきちんと収められた昭文社の「槍ヶ岳・奥穂高岳」の地図がきちんとしまってあった。小学校以来の忘れ物王の性格は40半ばの大人になっても大して変わってないようだった。いずれにしても地図の問題は解決した。
GW前日、まったく静かな燕山荘。一日早く出てきて正解だった。
合戦小屋から直登の冬道ルートを登り左に目をやると右脇に小槍を従えた槍ヶ岳が見える始める。さらに合戦沢ノ頭まで登り詰めると北アルプス中央の雄姿が現れる。やはりこの時期の雪を頂きにまとった北アルプスの姿は壮観だ。
燕山荘まではあと30分もあれば着くはずなのだが、小屋は奥に見えているのだが一向に近づてこない。相当に足がすり減っているようだ。左足、右足、左足、右足…と、何とか一歩ずつ踏み出し、17時ちょうど、やっとの思いで燕山荘に到着した。
しかしながら、これで終わり「さてビールだ!」という訳にはいかない。まだ、つい数日前に営業を始めたばかりの燕山荘のテント場は、すでに張られた4張りの雪上のサイト以外は全く整地されておらず、ただ傾斜した雪っ原が広がっているだけだった。これからここをスコップでならし、さらに、いつ吹いてくるか分からない山の強風に備えて、雪面を数十センチ掘り下げ、さらにテントを囲むように雪壁を作るという大作業が待っている。結局、テントを張り終えた時には少し18時を回っていた。
燕山荘だというのにミネラルウォーターしかない?!
ウォーターパックを持ってテント泊の受け付けに行く。疲れ果て腹も減って早く晩ご飯を食べて、身体にエネルギーを供給したいところだが、受け付けを終えて言われたひと言にがっかりした。
「お水は販売しているミネラルウォーターを買ってください。」
確か3年前は1リットル200円で小屋で雪を解かした水を販売していたはずだったのだが、まさかミネラルウォーターだけの販売とは。500mlのペットボトルが1本200円。今日の夕食と明日の朝食で1リットル、さらに明日の7時間弱の行動のために1リットル、合わせて最低2リットルの水が必要なのだが、それだけ買うと水だけで合計800円。ここで売っている500mlのビールと同じ値段じゃないか。とっさに「分かりました」といい、そそくさと小屋を離れてテント場に戻って雪を掘り返した。
雪を解かして2リットルの水を作るのに50~60分。結局、晩ご飯にありつけたのは、日もすっかり落ち、すでに辺りが薄暗くなった19時過ぎだった。とても疲弊した一日、夕食を食べ終わりシュラフに潜り込むと電池が切れたように深い眠りに陥ちた。
DAY1: フォトギャラリー
合戦小屋から冬ルートで合戦沢ノ頭まで直登
合戦沢ノ頭まで来てやっと姿を現した燕岳
DAY2: 4月28日(土)燕山荘~大天井岳~常念小屋
パワーあふれるアルプスのご来光を眺める
昨日、受付する時に聞いていた通りに、風もあり予想以上に寒い朝になった。気温は計ってないが氷点下2~3℃くらいまで下がっていたのだろう。それでもこの時期になると4時を過ぎると辺りはうっすらと明るくなりありがたい。
昨日の疲労がまだまだ足にかなり残ってはいるものの、十分な睡眠を取ることができてスッキリした気分で5時過ぎに起き上がる。テントを出ると、ちょうど安曇野の平野を挟んだ向かいの山の稜線から朝日が昇ろうとしているところだったのでカメラを握り、小高くなっているテント場の端に歩いて行ってご来光を眺める。次第に陽は高く昇り燕山荘のまだ雪で覆われた東面を赤く照らし始める。日が昇ってくると、あれほど冷たかった空気が少しずつ温まり始め、こわばっていた気持ちも穏やかなになってくる。いつもながらに太陽の光はものすごいパワーを持っているものだと感じた。
昨夏の反省を生かした縦走中の食事スタイル
沸かしたお湯をチョコレートシリアルを入れたシリコン製クッカーに注ぎ込み、たっぷり練乳を垂らして、少し柔らかくなってから口に流し込む。
いつもそうなのだが山に来るとあまり食欲がなくなり、時には持ってきた食料の半分も食べることなく下山してしまうこともある。特に去年の6日間のアルプス縦走の時はひどく、持ってきたパスタのほとんどに手を付けることなく下山してしまった。ただそんな中「今、ラーメンがそこにあったら食べたいな」と常に思っていた。
体力を使う縦走登山ではどうしても身体の水分も不足するだろうし、また身体の疲労と共に胃腸も疲れるのだろう。できるだけ胃腸に負担を掛けずに簡単に多くの水分と共に「流し込む」ことができるような食事が自分には合っているのだろうと、今回の夕食は基本的にチキンラーメンにエッグスープを溶いて食べ、朝食はシリアルを練乳入りのお湯に浸して食べるというメニューを用意してきた。
2日目、3日目となると同じメニューばかり食べるので、多少、飽きてはきたが昨夏のような「食べる気がしない」というい感じにはならなかった。「持ち運び」という点でも、縦走当初はかさばるものの、それは食べれば食べるほど少しずつ減っていく訳で、何より軽量で悪くなかった。今年の夏はこのスタイルに飽きないようなアレンジを加えて長期縦走に備えようと思う。
大天井岳へのルートは基本的に雪のない夏道が続く
今日は6時間程度の行程。ゆっくり8時前に燕山荘を出発する。世間は今日から本格的なGWだ。たった9張りしかなかった燕山荘のテント場に、今日の夕方には数え切れないほどのテントが張られるのだろう。そして、昨日、僕が疲れ切った体で1時間以上掛けて作ったテントサイトに何の苦もなく有難くありつく人がもちろんいる訳だ。感謝しろよ。
燕岳から大天井岳に向かって歩く稜線はアップダウンが少なく、その向こうに槍ヶ岳を望みながら歩くことができる快適なルートだ。途中にある蛙岩(ゲエロイワ)はまだ冬期ルートでスリーピングマットを外付けしたザックをあちこちに引っ掛けながらやっとの思いでくぐり抜ける。それでもそれ以外の登山道は基本的にほどんど雪のない夏道を歩く。
大下りの頭から今日の核心部、大天井岳南陵の登りを眺める
1時間ほどで大下りの頭。これから登る大天井岳が一望できる。今回のルートで、この大天井岳への登りが一番気になっていたところであり、また最大の難所だ。夏道ルートでは大天井岳の中腹で右に喜作新道を分けてから、大天井岳東壁をトラバースするように山頂直下にある大天荘(だいてんそう)に向かうのだが、この時期の東壁はまだ大量の雪に覆われているので、手前の南陵を直登することになる。見る限りその頂上の下の一部分、最も急峻と思われるところにまだ雪が残っている。そして、そこを超えられるかどうかが、今回のこの縦走を上高地まで続けられるかどうかのカギになる。
もちろんソロでの山行なので無理をするつもりは全くないが、ここを通り抜けられなければ、今日、歩いてきたルートを燕山荘まで引き返さなければならず、そう考えるとちょっと気が滅入った。今、立っている大下りの頭から眺めて無理そうと判断できるのならいいが、見る限り、行けそうでもあり、また厳しそうでもあり何とも言えない。そうなるともう行ってみるしかない。
向かいから歩いてきた登山者が3人いたので、状況を聞いてみたが2人は、燕山荘に泊まっていて、大天井岳をピストンする予定だったが、今日中に下山しなければならないので大天井岳山頂にはアタックせずに戻ってきたということだった。
そして、もう1人は「どんな感じですかね?」という問いかけに、少し上から目線気味に「そら急だよ。アイゼンは必要だけどね」と言った。
何とも不親切な返事だなと思った。「急でアイゼンが必要?」当たり前じゃないか。そんなことを聞いている訳ではない。雪の質とかルートとか、下から見えてない岩裏の状況とか。ここで聞いていることはそういうことに決まっているではないか。
たまに出くわす、こういう「俺は上級者」意識系の輩。大概、真新しいアルパインスタイル装備でビシッと決めていることが多いイメージだ。こういう輩に限って大して経験がなかったりするんだろうなと僕は勝手に思っている。
いよいよ大天井岳南陵、頂上直下の核心部に踏み出す。
夏道ルートから外れて大天井岳を直登し始める。結構、急な斜面。日帰り装備程度の重量ならそう問題ではないが、冬の縦走装備を詰め込んだ20キロ近いザックを背負っているのでバランスが右や左、後ろに持って行かれないように慎重に進む。
登るに連れてところどころ岩と岩の間に凍った雪が残っている個所があり、そこを踏まないように注意する。
どこでアイゼンを付けるか迷う。まだまだ岩が多いところを歩いているので、今、装着すると登る途中で岩にアイゼンの爪を引っ掛けそうで返って危険のように思える。そして、まだ足に昨日の疲労が残っているので、体力を温存するためにもできるだけアイゼンを付けるタイミングを遅らせてて軽い足で歩きたいとも思う。ただ、このまま登って行って雪渓の前にザックを下ろしてアイゼンを装着するスペースがあるのだろうかと考えると心配にもなる。そんな色んな不安を頭にかすめながら登って行く。
雪渓の手前に狭いながらも何とかアイゼンを付けるスペースがあった。ここからが本当の核心部だ。途中でアイゼンがゆるんだりしないようにしっかりと取り付けストックをピッケルに握り替えて雪渓に踏み出す。
一歩一歩、慎重にピッケルを雪に突き刺して次に足を運ぶ。標高も上がりまだ硬くしまった雪になかなかピッケルのスパイクが突き刺さらないことがあり、中途半端なことにならないように何度も試みる。右側の斜面は凍りついた雪渓が崖下に向かって落ちて行っている。この大荷物を背負った状態でバランスを崩して滑りだしたらまず止まらないだろう。
燕山荘の受付で聞いた情報では、今日は10人ほどの登山者が大天井岳に向かうということだったが、この踏み後の薄さからすると恐らく10人もいないだろうと思った。
とにかく慎重に進んで上部にある岩稜の端に取り付いた。まずはひと安心だ。わずか15メートルほどの距離だったが、ものすごく緊張を強いられる区間だった。
さてここからどう登るか?この岩稜を巻くのか、それともこの岩稜を越えるのか?岩稜周辺の雪渓を見渡すが、雪の上を歩かれたような明確なトレースの跡は見当たらなかった。
何より雪上に再び出て転倒でもして滑り始めることがもっとも恐かった。また、この岩稜の裏がどのようになっているのかが今の時点で全く分からない。もし雪渓を巻いて裏を見て、そこから先に進むのが困難だった場合、この雪渓をまた下り返さなければならない。それはあまりいい判断ではないような気がした。
アイゼンの爪を引っ掛けないように岩稜を登っていく。そして、その上部先端まできたところで、その裏をのぞいてみると、そこには、これまでよりも大分ゆるい傾斜の雪渓が広がっていて、そこをあと30メートルほどまっすぐ進むと、この核心部は終了するようだった。
正直、もうほとんど滑落の心配はないと思ったが、こういう時こそ気を抜かいように気を引き締めて最後まで慎重に慎重に登り詰めた。振り返ると背後には、今日、歩いてきた燕岳からの稜線がはるか下に見えていた。緊張を強いられる区間を何とか突破して心から安心した。
東大天井岳のトラバースで夏道を進んでルートを見失う。
大天井岳を過ぎると稜線は左に槍穂の絶景を眺めて進むなだらかなルートになる。もうこの先には危険な個所はない。常念岳までの天空の散歩道が続く。槍穂の景色を撮影しながらゆっくり歩く。何となく3年前に来たときの景観を思い出しながら、そういえば美しい雪渓をトラバースするルートがあったな、また、あそこを通るのが楽しみだなとぼんやりと思った。いくつかの小ピークの西斜面をトラバースする全く雪のない夏道を進むと、その先で、あるピークを左に回り込むようにして雪渓に突き当たった。そして、その雪渓の上のトレースは、今度は右に進み、その先の尾根に続いていた。その先で、休憩をしている2人組パーティがいたので挨拶をして通り過ぎ、その先で、水を飲もうと立ち止まり漠然と辺りの景色を見渡した。
すると今歩いている尾根の東向かいにある稜線に一筋の登山道が続いているのが見えた。「あれはどこに続いている道なんだろうな?一ノ沢から登ってくる道かな?」と考えながら地図を思い返してみるが、一ノ沢は常念小屋に直接登ってくるルートだし、どう考えてもそのはずはない。こんな明確な登山道って一体何なんだろうと考えて、その一筋の登山道の左端に目をやるとこちらに続く大きな雪渓に突き当たって、そこから先が見えなくなっている。
「???!」
「これって、もしかしてあっちが常念小屋までの正規ルートで、こっちは間違ったルートなんじゃないだろうか?」
確かこのルートは東大天井岳辺りでルートをほぼ直角に東にとって常念小屋に続いていくことを思い出した。ということは、今僕の背後にある小高いピークが東大天井岳で、この大きな雪渓は3年前に、僕が美しいと思ったトラバースした雪渓じゃないだろうか?よくよく見てみると当時と比べて圧倒的に多くの雪で覆われているが記憶と雪渓のかたちがよく似ているようにも思える。推測はほぼ確信に変わった。
ただ、この雪渓をいくら眺めても、本来続くはずの夏道がそこへ降りる地点は切れ落ちた雪庇になっていて、とても進める気配はなかった。唯一、可能性がありそうなのが、今、背後に見えているトラバースしてきた東大天井岳のピークに登り、その裏側から向こうに見えている本来のルートに降りることがことができるのではないかということだった。下から見えていない東大天井岳のピークの裏側から正規の登山道に下りることができる地形かどうか分からないが、それ以外の方法がなさそうなので行ってみるしかなかった。
少し戻って先ほどの二人組パーティに声を掛ける。彼らもこの道が間違っていることに気づいてなかったようだった。状況を説明すると納得したようだったが、僕が先に東大天井岳に登って、再度、僕が彼らから見えるところに出て来たのを確認してから動き出したようだった。
あのまま、ルートロスに気づかずにあの尾根を数百メートルと下って行っていたら、また、登り返すのに相当、苦労をしだろう。本当に気づいてよかった。周辺の景色を常に見て「?」があれば、そこできちんと解決していくとが大切だと改めて思った。
色んな経験を積むことができた濃密な一日だった。
コースタイム6時間のところを7時間半掛けて常念小屋に到着したのは15時過ぎだった。GWも始まり常念小屋のテント場にはすでに多くのテントが張られていて、2つあるテント場のうち小屋に近い方はすでにいっぱいにテントが張られていた。
3年前と同様、ここのテント場には全く雪がなかった。また、同じくここでは3年前と同様に雪解け水を1リットル200円で買うことができた。とてもありがたい。
西に向いたここのテント場は真正面に槍ヶ岳が見える絶景のロケーションだ。テントの正面のジッパーを開けると寝そべった状態でも槍ヶ岳が見えるようにテントを張った。贅沢な庭の借景だ。今までの山の経験の中でも1,2を争うほど濃密に詰まった今日一日を振り返りながら、槍ヶ岳の槍の右に落ちていく太陽を眺めた。
DAY2: フォトギャラリー
会社がなくなって今は廃盤となったマウンテンダックスのテント レラと燕山荘
蛙岩(ゲエロイワ)とその向こうに槍ヶ岳
登り詰めたところから振り返る大天井岳南陵の核心部
大天井岳山頂から見る槍穂の雄姿
まだまだ深い雪に埋まった大天荘(だいてんそう)
夏道が雪に覆われた東大天井岳のトラバースを下から見上げる
DAY3: 4月29日(日)常念小屋~蝶槍~蝶ヶ岳ヒュッテ
雪が少ないと言われているが3年前よりは明らかに多い。
目が覚めると辺りはすっかり明るくなっていた。縦走3日目ともなると、何か特別なことがない限り朝日を見ようと早く起きる気がなくなってくる。山での朝が日常の一部に溶け込んでくる。ごそごそとテントから這い出してみると日はすでに写真を撮ろうという人もいないくらいに昇っていた。
とても喉が渇く夜だった。夜中にトイレに行くのが面倒なので夜はあまり水分は摂らないのだが1リットルの水筒の水がなくなるくらいに夜の間に飲み干していた。
今日の行程は、蝶が岳ヒュッテまで5時間半程度。今日一日の行動用に1リットルだけ水を購入して7時過ぎに常念小屋を出発する。常念岳のコルにある常念小屋からは、のっけから常念岳の急登を登って行く。朝のまだ慣れない体に堪える。GW真っ最中だけあってカラフルな衣装の登山者が山頂に向かって連なっている。
1時間ほど登り詰めた偽ピークの先に常念岳本峰のピークが現れる。その手前には大きな雪渓が広がっていた。3年前には全く雪がなかったところだ。今年はあまり雪が多くなく、また季節を先取りするように暖かくなったように思えるのだが、昨日の大天井岳の登りといい明らかに3年前より残っている雪は多かった。
ソロは危険は間違いないがパーティにはパーティの危険がある。
雪渓の手前で大学生らしき5人組が抜かしていく。常念小屋からピストンするのだろう。常念小屋からは上に雪渓があるなんて思ってなかったのか全員、ストック、ピッケル、アイゼンをはじめ一切の荷物を持たずに登って行き、そのままその雪渓に突き進んで行った。
すでに多くの登山者が登っていて雪渓には階段状にステップがついてはいたが、まだまだ朝の早い時間帯で雪はザラメ状に凍っていて滑る状態だった。登りではさして難しさはないだろうが、帰りにここを下る時、大丈夫だろうかと思った。
年間に起こる山岳事故なんて登山者数から言えば微々たる数で、確率から言えば、どんなバカげた登山をしていたとしても事故に巻き込まれる可能性はほとんどないのだから、この大学生達もまず無事に下山できるのだろうが、よく思うのだが集団でいる時の「行っちゃえ行っちゃえ感」や「たぶん大丈夫感」というのは適切な判断を失わせるものなのだろう。
事故は決して危険な箇所で起こる訳ではないことを再認識した。
常念岳の山頂は多くの人で溢れかえりピークの社(やしろ)の前では「常念岳」の標識を抱えての撮影会の行列の様相だった。また、その登山者と同じようにたくさんのイワヒバリ達が、こちらは春の恋の季節かはしゃいでいた。
混んだ常念岳の山頂を後にして常念岳を蝶ヶ岳に向かって下って行く。一気に400メートルほど下る大下りだ。色んな山に「大下り」という名称があるが、ここにもその名称が付いていてもいいのではないかと思うくらいの下りだ。
最も低い鞍部まで下って、一旦、登り返すと、そこから先はいくつかの上り下りを繰り返しながら蝶槍に向かう樹林帯の雪道になる。気温が上がり雪が腐ってきて、まるで砂の上を歩ているように歩きにくい。長い急登はあるものの階段状に無数のステップが付いているので基本的には登りはアイゼンなしで問題ないが、下りは面倒だがアイゼンを付けた方が安心できる。
さて、ここから蝶槍に向けて最後の登りになるぞという鞍部に出る手前で、不自然にもツエルトと銀色のエマージェンシーシートを広げてビバークしている年配の男性がいた。こんなところでビバークなんて物好きな方だなと思って見ていたのだが、前を歩いていたパーティのリーダーが話しかけると、どうやら雪面を滑って、首を痛めて動けなくなっているということのようだった。エマージェンシーシートの上に胡坐をかいて携帯で連絡をしていたので緊急的に命に別状はないようなのだが、とても自助できるほど動ける状態ではないのだろう。
しかし、辺りを見渡しても一体どこでケガをしたのか見当たる場所がない。この位置でビバークして動けなくなっているとするなら、可能性があるなら僕がたった今、降りた、ほんの3メートルほどの落差がある雪の急斜面以外に考えられない。実は、ここまでの緩い下りで早めにアイゼンを外して歩いていた僕も、その傾斜で派手に転倒していたのだが、雪にも覆われているし、滑ったとしても何十メートルとも滑落する訳でもなく、とても怪我などする場所ではない。
とかくケガというのはこういう何でもないところでも起こるということだと思った。これはもう山でも街でも関係なく、たまたまちょっとした転倒での打ちどころが悪くケガをしてしまったのだろう。どう慎重になってもこういうアクシデントについては避けようもないだろうとも思った。ちょうど蝶槍の山頂に到着すると県警のヘリコプターが飛んできて救助が始まった。
あえて雪上を選択。雪のキャンプにこなれてきたようだ。
13時30分、蝶ヶ岳ヒュッテに着く。まだ時間があるのでこのまま降りて、以前から泊まってみたかった徳沢でテントを張ろうかと思ったが、小屋で確認すると明日も天気がいいようだったので、最後の夜を稜線に留まって過ごすことに決めた。
蝶ヶ岳ヒュッテのテント場の1/3ほどが雪の解けた地面がすでにむき出しになっていたが、そこにはもうたくさんのテントが張られていて残っているのは雪上のサイトのみだった。小屋でテント泊の受け付けを済ませて、買ってきたチューハイを飲みながら、1メートルほどの高さのハイマツが風よけになる、その裏の傾斜地の雪を掘りサイトの整地を始めた。歩いてきたこの3日間で今日は最も暖かく半袖になって作業を進める。
厳冬期キャンプを始めたのは、まだ、たったこの冬の話だが、この雪上のテントサイトの整地もすっかりこなれて板についてきたような気がして、何だが一段、レベルが上がった感じがしてちょっと嬉しい気持ちがした。きっちりと広いテントサイトを造営して、その横の雪面を1メートル四方、四角く深く掘り込んで即席の椅子を作った。また、まだ、時間も十分あるので、椅子を作るときに掘り出した汚れていない雪を解かして2リットルの水にした。こういう作業ひとつひとつが楽しくてたまらない。
雪の椅子に座って、スルメを噛みながら、まだ残っていたウィスキーを雪割りにして飲む。まだ下山は残っているが、ほぼ全ての縦走行程を終えて満足感に浸る。左には雲ひとつない快晴の空に穂高岳~槍ヶ岳の稜線が見えている。もう何も言うことなく最高じゃないか!ここにその気持ちを共有できるきれいな山女子でもいれば、なお一層、気分が良かったかも知れないが。それはいつかまたの機会にすることにしよう。
夜中の強風にテントが飛ばされてしまった!?
夜になると次第に風が強くなってきて、ハイマツの間を通り過ぎる風の音がヒューヒューを音を立てる。しっかり雪ペグを打ち込んでいるから大丈夫だよなと思いつつもちょっと心配になるが、何やら足下がその強風でちょっと浮いたようにバタバタと煽られているように感じる。そして、次の瞬間、突風が吹いてきたと思ったら一気にテント全体がむき出しになった僕だけを残して「バサッ!」と音をたててものものすごい勢いで風下に飛ばされていった。これはやばいと思った僕は、日中に知り合いになっていた隣にテントを張っていた登山者のところに行って事情を説明して避難させてもらった。
というところで、目が覚めた。僕は暖かいシュラフの中でぐっすり眠っていたようだった。
DAY3: フォトギャラリー
登山者であふれかえる常念岳山頂
常念岳から蝶槍までのルートは基本的に樹林帯の中の雪道が続く
蝶槍の頂
DAY4: 4月30日(月)蝶ヶ岳ヒュッテ~徳沢~上高地
キラキラと輝く安曇野平と幾重にも重なる山々の稜線
5時半前に起きる。すでに陽は西にある山から昇ってしまっているようだった。カメラを握って、今日が最後となる稜線の風景をあちらこちら撮って歩く。槍穂の稜線は、朝陽に照らされてもモルゲンロートと言えるほど赤くは染まらなかったが、安曇野平に目をやると陽が高くなるに連れて、水を張られたばかりの田にその光が反射してキラキラ輝いてきれいだった。この時期にしか見ることができない日本らしい風景だ。
そして、さらに陽が昇ると今度は、西にある山々のそれぞれの稜線ひとつひとつを絶妙な角度で照らし始め、普段は同一色でまとわれた峰々が、うっすらと霞がかった中で、少しずつ異なる色を放ち始め、何とも言えない幻想的な景色が広がった。この3日間ずっと素晴らしいアルプスの風景を歩いてきたが、今、見ているこの景色が今回のベストビューだと思った。
4日間の行程を無事終了。誰にも言えないがちょっと誇らしい気分。
8時過ぎ下山開始。この槍穂の景色も見納めだ。長塀尾根を徳沢に向かって下って行く。雪道の下りは早いもので3時間のコースタイムのところを2時間弱で徳沢まで下る。
徳沢では、今から登る人、今、下山してきた人が入り混じって信じられないくらいたくさんの登山者で溢れかえっていたが、そのほとんどは穂高岳、涸沢、槍ヶ岳への登山者だろう。
4日前、燕山荘の受付で、明日、大天井岳に向かうのは10人程度いると言っていたが、その半分は大天井岳のピストンと推測して、この多くの登山者の中で、そこからずっと歩いてきて、今、ここにいるのは5~6人しかいないと思うと誰かに声を掛けたくなるくらい誇らしい気持ちがした。もちろん、そんなことをすることはないが(笑)
小梨平の風呂は昼間から下山者の入浴でイモ洗い状態に混んでいた。4日分の汚れを落としてスッキリした気分で、河童橋で写真撮影する観光客を横目に70リットルの大きなザックを背負って上高地からバスに乗って帰路についた。
DAY4: フォトギャラリー
梓川の水辺に群生しているイチリンソウ
まだ、ふさふさ冬毛に覆われたニホンザル
観光客でにぎわう上高地 河童橋
松本駅から今回、縦走ルートを振り返る