2012年8月26日(日)09:00

南アルプスを聖岳から仙丈ケ岳まで3000m峰をつなぐテント泊縦走 HOT

● 縦走0日目:新宿~畑薙ダム

8月26日、日曜の22時過ぎ、帰路に着く人々で溢れる電車の中で大きなザックを持って乗っていることにちょっと罪悪感を感じた。けど頭の中はこれから始まる「まだ登っていない南アルプスの3000mを伝って端から端まで縦走する」山行ことで頭がいっぱいだった。ヤマレコのレポートでは時々見かけるけど40歳を過ぎた僕には大きな挑戦だ。

 

新宿西口安田生命前の毎日アルペン号乗り場に着くと、これから山に向かう登山客がたくさんいた。このバスを利用するのは初めてだが、どこ行きのバスも ここが出発点のようだった。

 

カラフルな衣装を身にまとった華やかな山ガールたちがたくさんいたが、彼女らは燕岳に登るのだろう、残念ながら中房温泉行きのバスの案内係の人に皆ついていってしまった。さて、畑薙ダム行きのバスはというと、どう見てもそれなりに今まで山を歩いてきた山女とオヤジしかいない。山ガールとは皆無の雰囲気だった。これが南アルプス南部の現実ということだろう。

 

マイクロバスをひとまわり大きくした程のバス乗り込み出発。シートも狭い。このバスに7時間ほど乗って行くわけか。時々サービスエリアで休憩を取りながら行く。暑いので仮眠程度にしか眠れない。高速を下り、曲がりくねった道をずっと進んでいくと最後の休憩所 井川湖につくと、うっすらと夜が明け始めていた。雲ひとつないいい天気だ。

 

 

 

● 縦走1日目:畑薙ダム~聖平小屋

6時過ぎに畑薙ダム第二駐車場に着く。

 

ずっと迷っていた今日のルートをあたらめて考える。茶臼岳登山口から上河内岳を経由して聖平小屋に向かうか、それとも東海フォレストのバスに乗って聖沢登山口まで行き聖平小屋に登っていくか。東海フォレストのバスは、運営している山小屋に2食付で宿泊することを条件に小屋代として使える3000円のチケットを乗車時に払ったら送迎してくれるというシステム。

 

できれば全行程テント泊でやり通したい僕にとっては利用するかしないかずっと迷っていた。計画では畑薙ダム第一駐車場ついて40分歩けば茶臼岳登山口につく予定だったのだが、夏山シーズンということもありバスは第二駐車場までしか行かない。しかし畑薙ダム第二駐車場からは茶臼岳登山口までも歩いて1時間半、ましてや聖沢登山口へは3時間も掛かってしまう。

 

そこに井川観光協会と書かれたバスが来た。そのバスは『聖沢登山口行』と案内している。何だこのバスは?しかもどうやら無料のようだった。とにかく聖沢登山口まで無料で連れて行ってくれるということなので飛び乗ると、バスは6時50分に出発した。これで時間的には茶臼岳登山口から上河内岳を経由して聖平小屋に着くことができることになる。さて、どうしよう?茶臼岳登山口が近づくにつれ散々迷ったが、優柔不断な僕は、結局、決心がつかず「降りる方いらっしゃいますか?」というアナウンスに何も応えることができずスルーしてしまった。

 

聖沢登山口から登り始める。

 

ザックが重いせいか、昨夜は飲み会でまともに晩ごはんを食べてないせいか、朝ごはんを食べてないせいか、バス泊の睡眠不足も重なっているせいか、登山口が1000m程度と低くて暑いせいか、いや、それら全てが重なり合ったせいか、汗ばかり大量にかいて足が全く思うように動かない。初日の、その端からこんなので6日間も本当に歩き通せるだろうか。2ヶ月ほど前に突如として襲ってきた腰痛のことも心配になってくる。

 

 この腰痛は厄介なものだった。その痛みの質から初めはぎっくり腰くらいに思っていたので、数日安静にしてれば治るだろうと思っていたのだが一向に痛みが治まらない。ついには病院に行って腰に痛い注射を打ったが、それでも治らない。さらに、それから週1でリハビリに通っているのだが、今のところ良くなる傾向が見えない。ただ幸い、歩いている時は問題ないので、この旅に立ってきたが、こう調子が悪いとそんな腰も不安になってくる。

 

3時間ほど歩くと樹林帯の間から聖岳が見えるちょっと平な所に出た。完全に足が止まった。いつものペースではとても歩けない。そこから先は、もう亀の歩みでとにかく右、左、右、左...とゆっくりゆっくり歩を進めた。

 

しばらく歩くと樹林帯の木の脇にレインカバーを被せられたザックが置いてあった。こんな所にザックがあるなんて不自然だなと思いながら、さらに1時間半ほど歩くと、登山道に男性が横たわっている。顔を覗き込むと眠っているような感じだった。ちょっと不安に思い「大丈夫ですか?」と声をかけると「はぁ大丈夫です...」と細い声ながら返事があった。相当、疲れきっている感じだったが聖平小屋まであと1時間半弱のところだったので多少心配にも思ったが「もう少しだから頑張ってくださいね」といって通り過ぎた。

 

5分ほど歩いたところの『岩頭滝見台』というとても景色のいいところで休憩をした。ここまでの疲労の原因は昨夜からちゃんとエネルギーを摂ってないからだろうと、ここで朝食用のグラノーラを口にした。あまりお腹は空いてないように思っていたが甘さがとても美味しく感じた。

 

そこに先ほどの男性が今にも倒れるような歩みでやってきた。その背中にはザックは背負ってない。あの道端に置いてあったザックは彼のものだったのだろう。これは普通じゃないと再び声を掛け、言葉を交わすと彼はもう登り始めて3日ほど経っているという。体調が悪くなってザックを置いて登っていたのだが途中で力尽き、登山道に横たわっていたらしい。となると、もう2日間はまともに水を飲んでないことになる。それはマズいと持っていた水を飲むよう進めるが要らないというのだが、次の水場はどこにあるかと聞いてくる。もう小屋まではないと伝えると、小屋まであとどれくらいかと聞くので、もう1時間ほどは掛かると言うと彼は再びそこに座り込んでしまった。これはマズい。このあたりは携帯が伝わるエリアじゃない。このことを早く小屋に知らせるために、彼にもう少しだけ頑張るように言い先を急いだ。

 

岩頭滝見台で彼方下にあった聖沢が、登山道沿いに流れるようになり、そこから広がりのある傾斜のゆるい沢沿いを行く。もう小屋は近いはずだ。フライフィッシングをやる僕は、この沢の悩ましいほど素晴らしい渓相を横に見ながら、ふと小さな水の落ち込みの下のゆるい流れに目をやると、一匹のイワナがしきりに水面に流れてくる昆虫を食べているのを見つけた。この光景をしばらく眺めていたかったが、今はそういう訳にもいかず先を急いだ。

 

午後1時過ぎに聖平小屋に到着、テント泊の受付をする。この小屋では到着した客にフルーツポンチが振る舞われるようだ。さっそく憔悴しきった登山者のことを小屋の人に話すと、どうやら昨日から何件かその報告が入っているようだったが、それは小屋の本来の仕事ではないのか、すごく深刻に受け止める風ではなく、まだそんな所にいるのかくらいの感じで困ったなあという感じだった。

 

1時間程してからだろうか。2人の小屋番がザイルを担いで登山道を下っていった。そして、その数時間後、聖沢の上空辺りに旋回するヘリコプターが見えた。何とか救助されたのだろう。

 

他の3人の、それぞれソロのテント泊登山者とテントサイト脇のテーブルで夕ご飯を共に一杯やった。2人は南アルプス南部の王道ルートを3泊で、そして夕方、亀のような大きなザックを背負って現れた大学生の原田くんは、驚いたことに大学の夏休みを利用して太平洋の三保の松原から歩きはじめ、北アルプス、中央アルプス、そして北アルプスを一切動力を使わずに縦走して、最後に日本海の不知火まで歩き通す計画ということだった。6日間の縦走で南アルプスを歩き通す予定の自分は、それはそれで一大計画と思いそれなりに覚悟を決めてきたのだが、上には上がいるものだ。交通の便が良くない南アルプス南部は一旦山に入ると長い距離を縦走するのが一般的なのだろう。ここでは3泊程度の縦走はごく当たり前のようだった。聖小屋は洋式トイレがあってありがたい。

 

 

 

● 縦走2日目:聖平小屋~荒川小屋

朝5時過ぎに聖平小屋を出発。今日の行程はハードだ。聖平小屋は2350mの標高だが、まず、そこから聖岳(3013m)に一気に650m登り、兎岳との鞍部まで400m下る、そこから兎岳へ200m登り、200m下り、小兎岳の小ピークを登って下り、再び中盛丸山へ向けて200m登る、そして2400mの百間洞山の家まで下って、最後に3120mの赤石岳まで700m登って、最後に2600mの荒川小屋へ降りる...とてつもないアップダウンの応酬だ。

 

小聖岳に来ると目の前に巨大な山体の聖岳がどんと構えている。北アルプスのような急峻な岩場はないが急傾斜の登山道が山頂まで延々と続いている。昨日、6時間程度の行程程度でくたくたに疲れきったので心配したが、今日の体調はそんなに悪くはなさそうだ。聖岳山頂まで3時間弱のコースタイムのところを2時間ちょっとで登り切った。

 

格別な眺めだった。聖岳山頂からは深い谷を挟んで、聖岳よりさらにひとまわりは大きい赤石岳がその巨体を横たえ、さらにその先には、これから歩いて行く南アルプスの峰々が遠く仙丈ケ岳まで一望にして見えた。これから歩くルートがどれくらい長くハードか実感するのに十分だった。

 

次のピーク 兎岳に向かって聖岳を後にする。午前8時を過ぎると空から真夏の陽ざしが突き刺さり、風通しの悪い場所ではとてつもなく暑くダラダラと汗が出る。さらに小兎岳、中盛丸山と登って下り、また登って下りを繰り返して、百間洞下降点までやってくる。そこからトラーバース道を通って百間洞の家に向かった。

 

南に開けた明るい谷にある百間洞の家は、水も豊富で、とてもいい雰囲気の小屋だ。11時30分前。ビールを買って、ラーメンを食べる。今日、予定しているコースは12時間以上と長く、これが、最後の登りとは言え、ここから赤石岳を700m以上を登った上で荒川小屋まで、もう5時間ちょっと掛かる。正直、とてもハードだが、「今日の行程はここまで」とこの時間にテントを張って過ごすには早すぎる。

 

そこに白いバンダナをした青年が大きなザックを背負って赤石岳方面から勢いよく下ってきた。挨拶を交わすと彼はそそくさと水を汲みに行った。戻ってきて僕の飲んでいるビールを見るや「よくビール飲んで歩けますね」と言った。彼は葉月君といい、北海道大学の山岳部に所属している大学生で、夏休みを利用して北アルプス、中央アルプス、南アルプスを縦走していて、お金がないのでビバークと避難小屋泊を繰り返して歩いているという。これまたものすごいオプション付の大縦走。南アルプスは会う人は少ないが出会うと皆猛者ばかりだ。今、僕がやっている縦走が、そこまで大したことはないようにどんどん思えてくる。

 

そこで、昨日、聖岳小屋で出会った大学生 原田くんのことを思い出し、朝、僕が出た時、彼のテントはまだ残っていたので、今、こっちに向かって歩いていると思うから途中で出会ったら声をかけてみるといいよ、似たような感じだから気が合うんじゃんないかなと言った。

 

何だか彼はFACEBOOKで山行をレポートしながら歩いているみたいだよと話すと、葉月くんは、ちょっときりっとした顔で、好きな作家の本に「人は孤独であることを経験する必要がある」という趣旨の内容があり、僕は、それを実践しながら山を歩いているんですと、彼自身の山に対する姿勢を見せた。

 

分かる分かる。僕も似たようものだ。大学の時によく読んでいたカヌーイスト野田知佑の本に同じような一文があり、とても影響を受けた。また大人になって何かよくわからない社会という長いものに巻かれて生きていくことへの反発心みたいなものが往往にしてあった。

 

彼の2倍くらいの人生を生きてきて、たくさんのコケやアカが付着してしまった今の自分をちょっと省みると共に、20歳そこそこ若者の純粋さがキラキラとても眩しく感じた。カッコいいぞ若者!!それでも、道中で原田くんに会いたいなと言っていたのが、それはそれでとても素直でかわいかった。神戸出身ということもあり、やはり加藤文太郎のように六甲全山を縦走したことはあるかと聞くと、当然という感じで誇らしげに「はい」と答えた。

 

出会った大学生 葉月くんに元気をもらい昼過ぎ、今日最後のピーク赤石岳に向けて歩きはじめる。ひと登りした先、赤石岳の肩辺りにある百間平は名の通り広大な平原が広がっていた。もし水が確保できればこれ程、山小屋やテント場に適したところはないのではないだろうか。百間平には既に綿毛になったチングルマが咲きほこっていた。

 

赤石岳の最後の登りで今まで経験したことがないほど完全に足が止まった。あまり傾斜のきつくないたったあと20~30mの登りなのに全く足が出ない。一歩がそれこそ20cmそこらの歩幅で、息をハァハァ切らしながら、午後3時前に、やっとの思いで山頂に到着した。

 

幸いこの赤石岳山頂には、夏は営業小屋の赤石岳避難小屋があり、宿泊しようと思えばもうここで今日の旅を終了することができる。小屋の前のベンチでは今日の行程を終えた登山者たちが一杯やりながら早い夕飯を食べているのが見える。

 

ふと山頂脇の標識に目をやると荒川小屋まで約2時間と書かれている。午後3時、荒川小屋まで行くか行かないか?まだ足は動くのだろうか。こんな登りが再びあったらもう無理だ。

 

荒川小屋方面から登ってきた登山者にこの先の登山道について尋ねた。山頂からは、あまり起伏の大きくない稜線が小赤石岳まで見えている。問題は見えていないその先だ。地図を確認する限り、その先は下っていくだけに見えるが、5万分の1の地図では詳細な部分は分からない場合が多い。今の僕は、その小さな登りでさえも行けるかどうかという気持ちだった。

 

あの小赤石岳のピークに先はずっと下るだけですよ。登山者の返答で先に進むことを決心する。だったら早く経たないと標準タイムで行っても小屋に到着するのは午後5時を過ぎてしまう。小屋に到着する時間としては遅い。

 

疲労困憊ながらも赤石岳から小赤石岳までの3000mの天空の稜線歩き、そして、その先の大聖寺平を見下ろしながら歩く荒川小屋までの道のりは筆舌しがたいほど素晴らしい絶景のルートだった。小明石岳の先で眼下に荒川小屋が見え、実際にもう登り返しがないと確認できたときは本当に安心した。

 

午後5時前、荒川小屋に到着。テント泊受付の時、スタッフから今日はどこからですかと聞かれ、聖平小屋ですと言うと、よくぞまぁという顔をされた。本当はヘロヘロのくせにちょっと余裕のあるふりをして見せる。

 

夏の終わりでチョロチョロとずつしか出ない水場の水を汲み、テントに戻って夕飯を食べ、今日は誰とも話すことなく小屋で買ったビールを飲んで眠りについた。

 

 

 

● 縦走3日目:荒川小屋~三伏峠小屋

朝4時過ぎに起きテントのジッパーを開ける。8月も後半ともなると夜明けもだいぶ遅くなり、まだ真っ暗の中の準備となる。

グラノーラに水で溶かしたスキムミルクをかけ、さらに練乳を垂らして朝食にする。持って歩く重量を少しでも減らすために、今回は特別な行動食は持たずに、朝食、たまには昼食兼用でグラノーラを持って歩くことにした。

 

午前5時前、朝焼けが富士山をシルエットに染め始めた頃、荒川小屋を出発する。登山道は、荒川三山のひとつ荒川中岳に向かって、一定の登り具合で高度を上げていく。途中、振り返ると荒川小屋の向こうに、昨日くたくたになりながら歩いてきた赤石岳が見えた。

 

荒川岳中腹のカールに差し掛かると、そこには花畑が広がり、ハクサンフウロ、マツムシソウ、イワギキョウ、ウサギギクなど、たくさんの花が咲き乱れていた。正直、あまり花には興味がある訳ではなかったのだが、そんな僕の目からみても圧巻で、これから少しずつ花の名前を覚えていこうかなと思った。

 

荒川中岳の山頂にある中岳避難小屋にザックをデポして、荒川三山の最高峰 荒川東岳に向かう。南アルプスの3000m峰をつないで歩こうとするとこの区間だけはピストンしなければならない。荒川三山とひとまとめにされるが、中岳から東岳までは200m以上下って登り返し、標準タイムでは歩いて2時間近くも掛かる全く別の山に思える。ここがひとつの山で括られるなら、北アルプスの大喰岳や中岳、南岳なども槍ヶ岳の属峰でいいのではないかと思う。後で知ったのだが、どうやら「山」には明確な定義はないらしい。それくら荒川東岳はひとつの独立した山と表現するのに十分な山容だ。

 

大ザックを置いて軽身で歩くというのは何と楽なことか。スイスイと進み50分ほどで荒川東岳の山頂に着いた。山旅も3日目になると、何となく身体がフィットになっているようにも感じる。

 

山頂は思いの外にぎやかだった。この峰から一番い千枚小屋から朝早く登ってきたきた人たちだろう。その中に80歳の親父さんがいて、ここから見える南アルプスのあと4座で百名山を達成するとい聞いた。年寄りの登山は危ないという人もいるが、何もせずに家で過ごして体力が劣り寝たきりになってしまうお年寄りの医療費より、多少の危険あるにせよ、このように健康に過ごしている方が、もし仮に遭難したとして、その救助に掛かる費用の方がはるかに少ないはずだ。自業自得やら税金で救助しているなど言わないで、もっと大らかに見てあげることができる社会になってほしいものだと思う。よっぽど毎日、テレビばかり見ているお年寄りよりずっと健全だ。

 

中岳避難小屋に戻り、まだまだ長い今日の行程の景気づけにビールを飲む。夏の間だけ営業しているこの小屋は、とても小さく中に入ると寝泊りするスペースがあるだけの小屋だが、小屋の親爺さんがとても親切な気さくな方で、ビールを飲んでいるちょっとの時間だけだったが気分よく過ごすことができた。

 

ふとした話の流れからの農鳥小屋の親爺の話になった。農鳥小屋の親爺は、口が悪く、また随分と変わっていることで有名で、インターネットのサイトをちょっと覗いてみるだけで悪評が散々に書かれているのをすぐに見つけることができるくらいだ。僕も泊りはしなかったが、一度、小屋を通りかかった時にお目にかかったことがある。噂は知っていたがいきなりよく分からない外国語で挨拶されひとり笑顔で楽しそうにしいた。朝早い時間だったがビールを飲みたかった僕は、どこに親爺の琴線があるか分からないので恐る恐るビールを注文したのだが、あっけなく売ってくれてほっとしたのを覚えている。それからビールを飲んでいる間、親爺と話をしたが、確かに相当変わっているなとは思ったが、ネットに書かれているほど悪い人ではないんじゃないかなと思った。

 

そんな農鳥小屋の親爺の印象の話をすると「あの人はそうとう変わっているから」と笑い、話を続けた。いつか農鳥小屋に寄った時、出された弁当がご飯の上に塩昆布だけだった。「あの人は漁師だからあれでいいのかもしれないし、僕なんかは山では塩分が必要だからそうなのかなと思ったけど、一般的にはね…」と笑った。農鳥小屋の親爺が夏以外の季節は漁師をしていると聞いてびっくりした。

 

この先、もう8時間以上歩く僕が途中の水場の心配していると、水場のアドバイスを詳細にとても丁寧にしてくれて助かった。いつかまた、この小屋に寄ってみたい。

 

荒川前岳先のガレ場で、僕の今日のゴールである三伏峠小屋にテントを張って、日帰りで荒川東岳をピストンするという30歳くらいの青年に会った。驚いた。そのコースは標準では往復で18時間掛かる行程だった。本当に歩けるのかなとも思ったが、彼は僕が三伏峠小屋でテントを張り終わった1時間後、夕方6時前には小屋に戻ってきた。

 

中岳避難小屋の親爺さんが言ったように、すでに夏の営業を終わり無人小屋になった高山裏避難小屋の手前の登山道わきに、細い流れだが水場を見つけ3リットル水を確保できて安心した。ここまで長い縦走をするのは僕にとって初めてのことだったが、長期縦走とは、水場を繋いで歩く旅なんだなと感じた。この真夏の太陽の下、水がなければどんなにいい装備があっても役にたちはしない。装飾は省き、必要なものが最小限になっていく、こういう単純な日々を繰り返すことができることが長期縦走の魅力なのかも知れない。

 

高山小屋避難小屋を過ぎると視界のない樹林帯の中の登山道が続く。樹林帯は風通しも悪くとてつもなく暑く感じる。また、なぜか分からないが至るところに咲いているマルバダケブキの黄色い花が、その暑さをより一層引き立たせている感じがした。

 

とにかく人に出会わない尾根だ。中岳避難小屋を出て、今日、すれ違ったのは、荒川東岳をピストンしている青年ただ1人だけだ。平日とは言えシーズン真っ最中の夏山だ。3000m峰が連なる南アルプスと言えども如何に南アルプス中南部というのはマイナーで地味な存在なのかがよく分かる。

 

樹林帯から再び標高を上げ森林限界を超えると辺りは霧に包まれ視界がなくなる。せっかく視界のない樹林帯を抜け出てきたのに、これでは全く変わらない。さらにハイマツ帯を進むと、その先に頂は見えないが、ひと際大きい山が太陽のシルエットになって見えた。しかし、この霧の中いくつかニセピークに騙されているので、期待せずに登っていくと、そこはありがたくも小河内岳山頂だった。

 

小河内岳山頂には小河内岳避難小屋という小屋があり、中がとてもきれいだと聞いていたので、行った時は、いつかのためにぜひ中を覗いてみようと思っていたのだが、歩いていく方向と異なった方向に100mほど行った、少し下ったところにあたったので残念ながら行くのはやめた。ただ山頂についた一瞬、霧が流れ見えた小河内岳避難小屋のある環境は絶景のロケーションだった。トレイ、水場がないという難点はあるもののこの小屋で一度、朝陽を眺めてみたいものだ。

 

稜線を前小河内岳、烏帽子岳と進む。視界がないとどれが本当のピークか分からず、「気持ちの目標」を決められず精神的に参る。烏帽子岳を過ぎるとあとは下るだけになり、今日のゴールの三伏峠小屋までもう一息。さらに小屋の手前まで来ると登山道はよく整備された木道階段で、辺りにはお花畑が広がりたくさんのマツムシソウが咲いていた。

 

木道を下ったところに水場との分岐があり「水場まで5分」と書かれていたが明らかにそれより遠かった。しかもずっと下って行った所にあるので、水を確保し終えたらまた登り返すのかと思うとちょっと滅入った。水場の水は今までになくじゃんじゃんあふれ出ていた。豊富な水は嬉しいが、そこには「熊注意」の看板があった。辺りを見渡すと如何にも熊が出没しそうな夕暮れ時、ちょっと怖くなって大きく咳込んだりして僕の存在をアピールした。

 

三伏峠小屋は賑わっていた。テント場ではFM長野がよく入った。結局、今日、荒川中岳避難小屋を出て出会ったのは、荒川東岳をピストンした青年ただ一人だけだった。人恋しかったのかFM長野から流れる放送が何だか久しぶりに触れる文明のような気がしてどこかほっとしたと同時に、あと3日ある行程を思うととても寂しい気持ちにもなった。500mlのビールを2本飲んで寝た。

 

 

 

● 縦走4日目:三伏峠小屋~熊ノ平小屋

塩見岳までは深い樹林帯を歩いていく。今日は熊ノ平小屋まで標準で10時間弱。長いのには変わりないが、この2日間12時間前後の行程を歩いてきたことを思うと今日は楽に感じた。そして、ゴールの熊ノ平小屋は、登ったことのある北岳や農鳥岳の近くであり、知っている場所に戻っていく感じの安心感もそうさせているのかも知れない。

 

塩見小屋に泊まっただろう年配のグループに出会う。今日歩く、塩見岳と仙丈ケ岳を結ぶ仙塩尾根もまたマイナーなルートだ。塩見岳を過ぎると、今日も恐らく多くの人とは出会うことはないだろう。

 

塩見岳へのアプローチの途中の登山道から塩見岳の山頂あたりから登るご来光を見る。今は、まだ晴れてはいるが雲が多く、今日はちょっと雲が広がりそうな雰囲気だ。ひと登りして午前7時30分過ぎに塩見小屋に着く。朝早いが、この先、今日のゴールの熊ノ平小屋まで、小屋がないかと思うとついビールを頼んでしまった。塩見小屋は掘っ建て小屋風のただ寝るだけのスペースを提供しているだけの何の変哲のない小屋の風貌だが、よく分からないがどことなく雰囲気のある感じだった。小屋の裏に、その頂を突き上げた塩見岳の天狗岩がとても印象的た。

 

若い女性の小屋番がひとりで小屋の掃除と店番をしていた。女性のアクティブさというか、本当にどこの小屋に行っても若い女性が働いていることに驚かされる。そして、みな美人さんだ。山で少し俗世を離れているせいでそう思うのだろうか。もし街で、この女性たちに会ったらどういう風に思うだろう。

 

昨日、登った荒川東岳の山頂直下もそれなり険しい感じの岩場だったが、ここ塩見岳の核心部は、この縦走で登ってきた中で一番険しかった。この先、水場が期待できないので4リットルの水で重たくなった、合計20キロはあろうザックで、時々よろけそうになるので慎重に慎重に登った。こう荷が重いと普通の登りはストックがないと本当にきついが、岩場になるとストックが邪魔なので仕舞うタイミングに苦労する。

 

塩見岳の頂に近づくと心配していた通り、もくもくと雲が湧いてきて、双耳峰 塩見岳の一方のピークである西峰に着くと次第に展望が閉ざされ始め、数分後、東峰山頂に着いた頃には完全に雲の中に入ってしまった。南アルプスのほぼ中央にあるこの高峰から今まで歩いてきたルートと残りのルートを眺めてみたいと思い、雲が流れ去るのをしばらく待ってみたが、全くその気配がなかったので諦めた。

 

いつでも確認できるようにザックのチェストハーネスに取り付けている昭文社の山と高原の地図の範囲が、昨日までは「塩見・赤石・聖岳」だったのが、今日からは「北岳・甲斐駒」になり、今まで歩いてきた距離の長さを感慨深く感じると同時に、今日を入れて、あと2日で終わる行程どこか寂しさを感じた。

 

これも、いつか歩いてみたい蝙蝠岳(こうもりだけ)への尾根を北俣分岐で右に分け仙塩尾根を歩く。森林限界上の眺めがいい気持ちのいい尾根が目の前にずっと連なっている。

 

左にガレた崖を見ながら少し下ると地図に水場とキャンプ禁止の印がある。ちょっと確認しておきたい場所だった。いつか熊ノ平から蝙蝠岳を通って二軒小屋というルートを歩く場合、もしかしたらビバークする場所になるかも知れないと思っていたからだ。地図には水場まで往復で25分とあったが水場の確認はしなかった。が、明らかにテント泊された痕跡が数多くあり、また、水場のある雪投沢の谷の方を見るとちょっとした樹木に囲まれたテントを張るのに適したスペースもあるように見えた。実際、利用するには、もう少し詳しい情報が必要だが、それなりに使えるのではないかと思った。ただ、雷や突風が予想される時は尾根上のサイトは避けた方がいいと思った。

 

さらにその先に北荒川岳キャンプ場跡というのがある。西側は今でも崩壊が進んでいる崖になっているが尾根を挟んだ東側は、ところどころに灌木が立つなだらかな傾斜の草地で、水場さえあればテント場として最高のロケーションのように思えた。いつ、なぜこのテント場が廃止になってしまったのか知らないが、夏の間だけでもちょっと下の沢をまでの道を整備して、キャンプ場を復活してくれたらどんなにいい場所だろうと思った。周辺には、今まで見なかったタカネビランジが群生していた。

 

北荒川岳を過ぎると樹林帯に入り、再び視界が開けるのは竜尾見晴というゴツゴツとした岩が急に飛び出した場所だ。この飛び出した岩場は50m程低い鞍部を挟んで向こう側で再びせり上がっており、さらに、どちらの岩場もその稜線部に登山道が付いていて、足場の悪い岩場を下って登り返すのが煩わしかった。ただ「見晴」と地名についているだけに、ここからの展望はとても良く、風も通っていい休憩場所だった。竜尾見晴からよく眺めてみると、この先に3つ連なるコブのような山の3つ目の山腹に白く光る建物が見えた。熊ノ平小屋だろう。ちょうどお昼だというのに、今日のゴールが近づいていることが嬉しった。

 

午後1時20分。思いの外、早く熊ノ平小屋に着いた。もう40分くらいは掛かるだろうと歩いていると目の前の林の中にいきなり小屋が現れた。嬉しいあっけなさで今日の行程が終了した。

 

受付を済ませテントを張り、小屋に戻ってビールを買う。傾斜地に建っている熊ノ平小屋は、その傾斜を利用して、小屋前に広いテラスがあり、その正面には圧倒的な存在感で農鳥岳が見える。先端に向かって少しだけ傾斜したそのテラスにはベンチがあり、傾斜の分だけリクライニングシートのように背もたれに体重を預けて農鳥岳を眺めることができる。さらに沢の源流部にあるこの小屋はすぐ横にとても豊富な水源がり、そこから流れ始める沢の水の音が心地よく、僕はテラスでビールを飲みながら寛いだ。最高のひと時だった。

 

夕方、テントにいると夕立のように雨が降り始め気温が下がる。雨の中、狭いテントで自炊をするは面倒だし、縦走4日目でインスタント食品ではなく温かみのある、ちょっと美味しいものが食べたくなったので小屋に行って軽食ができるか聞くと、ありがたいことに今日は宿泊客が少ないので作ってくれるということだった。注文したカレーライスに付け合わせてつけてくれた生野菜がこの上なく身体に浸みた。

 

外に誰もいない2階の食堂で夕飯を食べ終わり、相変わらず降りしきる雨を窓際で眺めながら暖炉で温まっていると、小屋を切り盛りしているご夫妻がやってきたので、4日間縦走してきて明日でこの旅が終わることや今まで登った山の話などをした。また僕は大分県出身で、最近は帰省するといつも久住山に登ると話すと、小屋の親爺さんは熊本出身らしく、郷里の話に花が咲いた。

 

次第に雨も小降りになり、傘がなくてもテントに戻れそうになったので、丁寧に挨拶をしてテントに戻った。本当に心和むいい小屋だった。ちょっとで来るにはなかなか難しい場所にある小屋だが、どうしてもまた熊ノ平小屋にはやってきたいと思った。

 

 

 

● 縦走5日目:熊ノ平小屋~北沢峠駒仙小屋

朝5時過ぎ歩き始める。快晴の青空が広がってる。今日はこの縦走の締めくくりとなる予定だ。ただ今日の行程は長い。標準タイムでは12時間30分、そして、南アルプスを歩きつくした人が「一番最後に歩く」と言われるほどマイナーな三峰岳以北の仙塩尾根を歩いて、この縦走の最後のピークとなる仙丈ケ岳に向かう。

 

旅の最後を応援されているかのようにな雲ひとつない空だ。登山道は初めから高度をどんどん上げ、しばらくすると樹林帯を抜け、左に仙丈ケ岳、正面に間ノ岳、右に農鳥岳の広大な景色が広がるハイマツ帯の台地に出た。振り返ると昨日登った塩見岳が、兜をまとったような独特な山姿で居座り、そこから仙塩尾根がこっちに向かって伸びていた。そして仙塩尾根の東、伊那側は一面、なめらかで真っ白い雲海が広がり、そこに巨大な三角形で南アルプスの3000m級の峰々の山影が映し出されていた。

 

中腹を過ぎると三峰岳への登りは、大石が折り重なる岩稜帯で稜線も細く予想以上に険しかった。手足を使い慎重に進むとピークらしき頂の上にケルンがあり、わきに三峰岳山頂の標識があった。2999m。ちょっと惜しい気がする。2999mと言えばあの剣岳と同じ標高であり、そして剣岳と言えば日本アルプスを代表する山のひとつで、山をやる人ならいつかは登ってみたいと思う山だ。しかし三峰岳は、それと同じ標高がありながら、その頂から連なる隣の間ノ岳(3190m)があまりに巨大すぎて、とても地味な存在になり下がっている。少なくとももう1m高ければ人々の見る目も少しは違ったかも知れない。三峰岳の山頂にうず高く積み上げられたケルンは、そんな哀愁を悟った登山者たちが、何とかならないものかと積み上げていった「思い」なのだろう。

 

それにしても絶景だ。仙塩尾根 塩見岳の東側にひろがる雲海はその容量を次第に増し、今にも尾根から西側に今あふれ出んばかりで、その尾根の向こうには2日前に登った荒川三山、3日前に登った赤石岳がくっきりと見えている。そして、はるか遠くに小さく見えるその山々の姿に本当にずいぶんと長い距離を歩いてきたんだなと実感した。さらに北を向けば、もうすぐそこに仙丈ケ岳が見えていて、そのなだらかな稜線を降りると今回の旅が終わるんだなと思った。

 

三峰岳から30分ほど下り再び樹林帯の中に入る。さっきまで上から見ていた雲海と同じ標高辺りまで降りてきたのだろう樹林帯の中は霧がかっていた。3000mまで登った尾根は最低地点2280mの野呂川越まで一気に700m以上下る。風通しの悪い樹林帯の中、陽も高く上がり蒸し暑い。そして野呂川越を過ぎると今度はいくつもの小ピークを上り下りしながら7kmかけて3033mの仙丈ケ岳のピークまで再び700m以上登り返す。この長い尾根の途中、辺りの風景を見渡すところができたのは「独標」と言われる岩場一か所しかなかった。長い樹林帯の中、地図で大体の現在地を確認しながらも、目視で目標までの距離を自覚できないことにもどかしさを感じた。そして、本当にあまり歩かれることが少ないルートなんだろう。倒木が登山道を塞いでいるところが至るところにあり、また当然、誰とも出会わなかった。

 

伊那荒倉岳山頂の標識は、古い鉄製で三角点の横に朽ち果て真っ二つに折れていた。そこからマルバダケブキが群生した苳ノ平を通り過ぎるとちょっと背丈の高いハイマツ帯に出た。ハイマツは登山道に覆いかぶさりヤブ漕ぎのように歩きにくい。それでも樹林帯を抜け仙丈ケ岳がすぐそこに見えると再び力がみなぎってきた。

 

身なりの整った背の高い青年が正面から歩いてきた。今日、初めてすれ違う登山者に少し嬉しく感じた。彼は今日から南アルプスを北沢峠から畑薙ダムに向かって歩き始めたようだった。僕が歩いてきた真逆のルートだ。この縦走を今日終える僕と、今日、始めた彼だったが、南アルプス大縦走という、あまり多くはいない共通点にとても親近感を感じた。頑張ってくださいといい別れた。

 

仙丈ケ岳に向かって登っていく。険しい登りではないが気持ちだけでは足は動かない。尾根の西側から雲が湧き上がってきて時々山に覆いかぶさるようになる。最後のピーク、山頂ではこの5日間歩いてきた道程を一望したいと思ったが、大仙丈ケ岳に到着した頃には辺りはほとんど雲に覆われた。南アルプスの女王と言われ、カールを抱いた優美な山姿で有名な仙丈ケ岳だったが、大仙丈ケ岳から本峰までのルートは、細く急峻な岩稜が連続し、ことの外険しかった。

 

流れる雲が少し高くなり、見上げると5~60m上に丸くなった頂があり、その上に何やら標識らしきものが立っているようだった。人影からも明らかにそこは山頂のようだった。ゆっくりゆっくり登っていく。小仙丈ケ岳への道を右に分けた、すぐ左の盛り上がった丘の上に仙丈ケ岳の頂があった。最後の頂に大声で叫びたいほどの気持だった。残念ながら辺りは雲に覆われて、5日間歩いてきたルートはおろか数十メートル先さえも見えなくなってしまった。

 

しばらく雲がなくなるのを待ったが、その気配がなかったので下山する。小仙丈ケ岳経由の登山道は、よく整備されていた。もう登りはないと思うと足取りも軽くスイスイと下っていく。小仙丈ケ岳を少し下ったところで正面の雲がふたつに割れるとその間から夏の青い空が見え、さらに雲と見間違うほどの真っ白い頂をまとった山の姿が現れた。甲斐駒ケ岳だ。この方向から見る甲斐駒ケ岳は初めてだったのだが、こんなに雪が積もっているように、頂が白にのにはびっくりした。いつか登ってみたい。

 

樹林帯に入りザレた登山道をずっと下ると、駒仙小屋への近道の標識があったので、そちらの方に進んだ。縦走は今日で終了なのだが、今日もう一泊駒仙小屋にテント泊して明日朝、ゆっくりバスに乗って帰る予定だからだ。見下ろす先の林の間に砂利の車道と停車しているバスが見えた。久しぶりに目にする乗り物の姿が文明の証のように思えてなぜか嬉しくなった。

 

ついにこの大縦走が終了した。5分ほど真っ平らな車道を歩き駒仙小屋行きテントの受付をした。駒仙小屋には生ビールが売ってあったので、そちらを買って小屋前のベンチでひとり乾杯する。何とも言えない味わいだ。南アルプス登山のベースキャンプ地となる駒仙小屋のキャンプ場は多くの登山者でにぎわっていた。今、ここにいる数多くの登山者で、これだけの距離を歩いてきた人はたぶん僕以外他にはいないだろうと思うとちょっと誇らしく、そこにいる人たちに今にも話しかけたい気分だった。いや絶対にそんなことはできないのだが…

 

この夏シーズン中にどうしてもやりたかった南アルプスのまだ行ってない3000メートル峰を繋いで南から北まで抜けるという野望を達成できて嬉しかった。天気に恵まれて何とかやり切ることができたけど、どでかい南アルプスの山々の登り下りの激しさに消耗しきって本当に体力的にきつい縦走だった。

 

41歳、南アルプス(おおむね)全山縦走、5日間ひとりでよく頑張った!

ルートマップ

データ

  • 入山日: 2012年8月27日(月)
  • 下山日: 2012年9月01日(土)
  • 登山エリア: 南アルプス
  • 登山ジャンル: 縦走登山
  • 登山スタイル: テント泊
  • メンバー: ソロ
  • コースタイム: 0日目:新宿(23:00)→毎日アルペン号→(6:30)畑薙ダム 
    1日目:畑薙ダム(6:50)→聖沢登山口→(13:17)聖平小屋 
    2日目:聖平小屋(5:08)→聖岳→兎岳→中盛丸山→百間洞山の家→赤石岳→(16:40)荒川小屋 
    3日目:荒川小屋(5:00)→中岳避難小屋→悪沢岳→中岳避難小屋→小河内岳→(16:07)三伏峠小屋 
    4日目:三伏峠小屋(5:02)→塩見岳→仙塩尾根→(13:20)熊ノ平小屋 
    5日目:熊ノ平小屋(5:04)→三峰岳→仙塩尾根→仙丈ケ岳→(15:31)北沢駒仙小屋
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